スチール写真

この映画について

十二人の写真家
(1955年/49分/16mm→DVD)

監督:勅使河原宏(『砂の女』『利休』)
企画:亀倉雄策
製作:永井嘉一
撮影:御木本良
解説:吉田謙司

出演:木村伊兵衛/三木淳/大竹省二/秋山庄太郎/林忠彦/真継不二夫/早田雄二/濱谷浩/稲村隆正/渡辺義雄/田村茂/土門拳(登場順)

配給:ポレポレ東中野
提供:アポロコミュニケーション

登場する写真家たち

木村伊兵衛 (きむらいへえ・1901年 - 1974年)
現在の東京都台東区下谷に生まれる。ライカを使った、「居合い抜き」とも称された洒脱なスナップショットの名手として、日本近代写真史に多大な足跡をのこす。江戸っ子らしい逸話も多く、写真同様の粋な人となりで知られた。
三木淳 (みきじゅん・1919年 - 1992年)
現在の岡山県倉敷市生まれ。土門拳に師事。名取洋之助の『週刊サンニュース』で報道写真家として歩み始める。タイムライフ社と日本人初の専属契約を結ぶ。『LIFE』の表紙を飾った、葉巻をくわえる吉田茂のポートレイトは殊に有名。
大竹省二 (おおたけしょうじ・1920年 - )
現在の静岡県掛川市生まれ。戦後GHQの嘱託となり、来日した女優や歌手を撮影。『アサヒカメラ』に連載された、カラヤン、バックハウスらを写した「世界の音楽家」が好評を博す。並行してヌードを発表し、商業誌やテレビでも活躍。
秋山庄太郎 (あきやましょうたろう・1920年 - 2003年)
東京の神田に生まれる。林忠彦の紹介で近代映画社に入り、スターのグラビアを撮影。陰影を効果的に使った黒バックのポートレイトで名を成す。フリーとなった後も、週刊誌の表紙を数多く手がけ、女性写真の第一人者として活躍した。
林忠彦 (はやしただひこ・1918年 - 1990年)
現在の山口県徳山市生まれ。バーに集う織田作之助や太宰治らのスナップを契機にした、文士のポートレイトで評価を確立。商業誌で活躍し時代の寵児となる。テーマに沿う環境を見つけ出し、「らしさ」を引き出す撮影で知られた。
真継不二夫 (まつぎふじお・1903年 - 1984年)
京都の亀岡に生まれる。海軍特別報道班員として海軍兵学校、海軍予備学生、海兵団などを撮影、刊行した写真集『海軍兵学校』が大ヒットとなる。戦後は女性のヌードに力を注ぎ、斬新な人体表現を展開、高い評価を得た。
早田雄二 (はやたゆうじ・1916年 - 1995年)
東京の蒲田生まれ。兄が経営する映画世界社に入社、『映画ファン』や淀川長治編集長の『映画の友』を舞台に、女優や俳優ら銀幕スター、海外のスターを撮影。自前のスタジオで撮影技術を磨き、女優からの信頼は非常に厚かった。
濱谷浩 (はまやひろし・1915年 - 1999年)
東京の上野に生まれる。渋沢敬三に出会い民俗学に傾倒、『雪国』『裏日本』などに代表される、日本の風土や自然、そこに暮らす人々の写真はライフワークとなった。のちにマグナムに参加、寄稿写真家となる。海外での評価も高い。
稲村隆正 (いなむらたかまさ・1923年 - 1989年)
現在の東京都中央区日本橋生まれ。三木淳とともに『週刊サンニュース』で報道写真を手がける。女性ポートレイトや芸能風俗の撮影に才を発揮し、「踊り子」シリーズに代表される、躍動感ある女性美の表現で名高い。
渡辺義雄 (わたなべよしお・1907年 - 2000年)
現在の新潟県三条市生まれ。都市の状景を切り取るスナップで注目される。明確な構図、シャープなピント、豊かな質感表現で、建築写真の第一人者といわれた。伊勢神宮本殿の20年ごとの式年遷宮を三度撮影。東京都写真美術館初代館長。
田村茂 (たむらしげる・1909年 - 1987年)
北海道の札幌に生まれる。桑沢洋子と出会い、ファッション、人物写真の分野で名を成したのち、報道写真の道に進む。戦地での経験から戦後共産党に入党。生活感覚に根ざした、誠実に人間と向き合うルポルタージュを撮影し続けた。
土門拳 (どもんけん・1909年 - 1990年)
山形の酒田生まれ。戦前から古寺や文楽を撮影、戦後は「リアリズム写真」を提唱、過酷な社会状況を直視した写真は、多大な反響を呼ぶ。厳密で重みある描写で名高く、日本の写真界に大きな影響を与えた。名文家としても知られる。